今回はいつもと違った形で記事をお送りします。
というか、単純に一球たろうの
高校野球や部活動の意義について考えることを書くだけです。
しかし、コロナウィルスによって、
夏の甲子園が中止になったからこそ改めて思うことがあります。
まず2020年、中学校3年生、高校3年生になり
学校も行けないまま、いつの間にか部活動も引退になっちゃった皆さん。
本当につらいですね。
今は同情の言葉しか見つかりません。おそらくこの先もしばらくはそうでしょう。
皆さんが本気で、命をかけて取り組んできた高校野球や部活動が
このような形で終わってしまうことに、本当に胸が痛みます。
一球たろう自身、これまで中学生に野球を教えてきた者として
一番近くで苦しめた(練習メニューで)者として、最後の舞台がなくなったことに悲しみを覚えます。
でもいつか「つらかった『けど』…」と言える日が来るはずです。
それまで、いろいろな人に不満を語り、思いを共感してもらってくださいね。
さて、今回のコロナ騒ぎは
改めて高校野球や部活動の意義について考えるチャンスだと一球たろうは思います。
3年生たちが、今思っているつらさ、そして残っているもの
これが高校野球や部活動をやる意義なのではないでしょうか。
具体的に考えてみましょう。
まずは今思うつらさ。
例えばこのようなもののはずです。
- 力が試せずに終わった
- 進路がかかっていたのに、どうすれば良いか分からなくなった
- これまでの努力は何だったんだ
- 仲間や家族、友人との約束
- 恩返しができない
一人ひとり違うと思いますが、
考えて数秒でこれだけ出たので、もっとつらさはあるはずです。
つまりこれらの「つらさ」を反対にすると
それがそのまま、高校野球や部活動をする意義になるのではないでしょうか。
一球たろうも自身が高校野球で3年間努力し
最後の大会まで「させていただいた」身です。
今になって自分が最後の大会を行って「もらっていた」と痛感します。
大会を通じて最後には
思うところがあり、号泣してもいましたね。
そこには今3年生たちが抱えている「つらさ」の
反対側の気持ちだったのでしょう。
一方で
最後の大会を行えなかったにしても残っているものがあるはずです。
例えばこのようなもの。
- 一緒に苦しい思いをしてきた仲間
- 支えてくれていた・応援してくれた人たち
- 努力することの大切さや結果を得られるうれしさ
- つらい時の頑張り方や耐え方
- 知恵を絞って工夫すること
- TPOに応じた人との付き合い方や接し方
少なからず、これは今ほんの数秒で
一球たろうの頭に浮かぶ「残ること」です。
しかもかなりの余力を残した状態。
つまり、まだまだ最後の大会ができなくても「残っていたであろうもの」があるのです。
よほどこちらの方が
大会ができないことより多い気がします。
(当然一球たろうは、それを経験していないので憶測でしかないですが)
ただ、引退してからすでに何年も経っていますが
今の一球たろうを支えているのは、最後の大会の経験よりも、高校野球を通して学んだことの方が多いです。
つまりは、そういうことなのでしょう。
もちろん人によって感じ方も考え方も違います。
これがすべてだとも思いませんが、少なからず自分を通してそのように感じるし、そう思う人もいるはずです。
野球を「させていただいていた」こと。
部活動を続け「させていただいていた」こと。
改めて高校野球や部活動の意義を、感謝を、ありがたさを
感実はいられない今日このごろです。
ぜひ3年生たちには
今まで部活動で続けていたことを、今後も続けてほしいな~~