第102回全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)中止とその理由…過去3回目の悲報

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憎むべきコロナウィルス…

第102回全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)が中止となりました。その理由がコロナウィルス。

一野球ファンとして、一高校野球ファンとして、まさか自分が生きている間に甲子園がない年に出会うとは思いませんでした。

今回の夏の甲子園の中止が、史上3度目。ウィルスが原因で甲子園が中止されたのは、過去初の出来事です。

一球たろう
一球たろう

球児たちにかける言葉がありません。

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第102回全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)中止は史上3度目

一体誰がこのような2020年を想像したでしょうか。

オリンピックの中止、高校総体、全国中学校総合体育大会、の中止が続き、学校組織とは運営主体が違う甲子園大会も中止が決定しました。

これは史上3度目の夏の大会中止の決定となります。

コロナという猛威との闘い

ウィルス感染の予防が原因で夏の甲子園が中止されたことは、初の事態です。

ある意味これまでの中止とは違って、医療が発達した現代だからこその原因とも考えられます。

そう考えると、不謹慎ではありますが、まだ医療が発達してなければ本大会が中止になるような事態もなかったということです。

とは言っても、医療の発達に助けられている私たちなので、今回の決定に異議を唱える人は少ないはず。

このコロナ騒動は、高校野球児の夢にまで襲い掛かりました。しかも春と夏の二度

やはり駄目か...コロナウィルスの影響でセンバツ高校野球中止
3月11日、高校野球連盟が新型コロナウィルスの影響を考慮し、再協議した結果センバツ高校野球甲子園大会が中止されました。非常に残念な気持ちもありますし、中止を決定した運営側も断腸の思いであることは間違いありません。社会情勢、感染拡大防止、選手の命を脅かしてはいけないと、すべての高校の監督が口をそろえて語ります。一方

今年の三年生たちにとって、これほどの悲劇があるでしょうか。

球児たちの気持ちを考えるほどに、同じ野球人として胸が苦しみます。

甲子園が中止された具体的理由

第102回全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)が中止になった理由の、大きな元はコロナウィルスの感染拡大防止のためです。

高校野球連盟の中でも、中止だけは防ぎたい、としてさまざまな方法が考えつくされたでしょう。

それらを考えても、大会の開催には踏み出せなかったということです。その具体的理由がこちら。

  • 学業への支障
  • 医療スタッフの配備不足
  • 選手自身の練習不足や怪我の考慮

当然学生なので勉強が大事ですし、すでに夏休み期間を学業の遅れを取り戻すための期間として設定している学校も多いようです。

さらには、ただでさえ熱中症対策が必要な夏の大会で、コロナウィルスへの対策となると、医療スタッフが何人いても足りないでしょう。

そして選手自身が全く練習できていない、という事実。どう考えても正常に大会を運営していける状態ではありませんでした。

球児たちの想いやいかに…

本気で野球に取り組んできた球児たち、その想いを考えるとどうにも言葉が出ません。

家を出て「本気で甲子園に行く」と覚悟を決めていた選手、自分がピッチャーとしてチームを引っ張る覚悟をしていた選手、この夏の大会の成績で進路を考えていた選手…

一人ひとりの想いがあって、この2年半の練習に取り組んできたはずです。

年が明けて、そろそろ冬の、文字通り「死ぬ思い」の練習から解放された矢先のコロナウィルス襲来。

冬の厳しい練習を耐えられるモチベーションは、春や夏の大会でグレードアップした自分自身を試したいからです。

しかし、今年の三年生にはその機会は与えられませんでした。春だけでなく夏にもです。

甲子園に出場する高校だけの高校野球ではありません。甲子園に出場する高校のそれまでには、何千という高校で頑張ってきた球児たちの涙があります。

それが勝負の世界であり、一発勝負の怖さと面白さなのです。

すべてはこの夏のため。そう思ってきたのに試せず終わる選手にとって、これほど「辛い」というか「虚しい」気持ちをさせるものはないでしょう。

それでも時は進んでしまう

甲子園が中止になったという人生における悲劇は、今後変わることはありません。

もしかすると、代替案などが考え出されるかもしれませんが、17~18歳の夏の最後の大会を行うことは二度と出来ないのです。

それでも、今後時は進んでいきます。球児たちに「それでも前向きに」なんて無責任な言葉はかけられません。

前向きになれるのは、自分で吹っ切れたときであり、今現在前向きになれない選手にとってはつらい言葉です。

後ろ向きな気持ちだろうし、絶望を感じているだろうし、言い知れない不安を感じている選手もいるはず。

それでも確実なのは、時間は過ぎていくこと。いつか「そんなこともあったね」と、周りにとって思い出になってしまうものです。

当人にとっては、一生苦しむことかもしれませんが、とにかく今は頑張ってきた自分をほめてください。

辛い苦しいことを経験しながら、人とは違った苦しみを背負うことになります。おそらく本当に共感できるのは、周りにいる同じ境遇の仲間だけです。

全部なくなってしまったという絶望感に駆られるかもしれませんが、その想いを共感できる仲間は今後一生大事にすべき仲間です。この部活動で得られたものです。

それを手にしていることは、疑いようのない事実でしょう。

これまでに夏の甲子園はどんな理由で中止になったのか

2020年(令和二年)夏の甲子園はコロナウィルスによる中止となりました。

これが夏の甲子園中止としては三度目ですが、あとの二回はどのような理由でしょうか。

夏の甲子園中止の原因:1918年米騒動

1918年(大正7)の第四回大会は、全国的な米騒動によることが原因で大会が中止されました。

1918年(大正7年)に日本で発生した、コメの価格急騰にともなう暴動事件、米騒動。

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/1918年米騒動

この時は、すでに代表校は大阪入りし、8月13日には組み合わせ抽選会も終わり、あとは大会の開始を待つのみの状態です。

そこで、全国へ広がっている米騒動の状況が芳しくなく、そのまま16日には大会の中止が決定されています。

コロナショックにより、全国の会社・企業が倒産したり、苦しい思いをするなか、労働者もしんどい思いをしている現在。

逆に米騒動のような騒動が日本では起きていないことが、社会的に成熟したというべきか、それとも人が声を上げなくなったと言うべきか、SNSで声を上げていると言うべきか…

夏の甲子園中止の原因:戦局悪化

 

毎年の夏の甲子園を見ているときに紹介される、「大会中止の理由」はこちらの方が多いのではないでしょうか。

「白球の記憶」で、何度も見た気がします。

1941年(昭和16)第27回大会は、第二次世界大戦に参加している日本の戦局が悪化し、国民一致で戦争への協力体制を求められる時代でした。

大会そのものは、地方大会レベルでは行われていたそうですが、結局中止が決定しています。

そう考えると、米騒動も戦争もかなりぎりぎり、または地方大会レベルでは行われている段階での中止決定でした。

つまり、同じ大会中止でも、まったく何もできていないというのは今大会が初なのです。

ついでに、第27回大会は正式な大会記録ではありませんが、16校による記念大会が行われ徳島商が優勝しています。

今回も代替案が考えられると予想できますが、コロナの第二波が秋に来るとか来ないとか…

未来が見えないとは、これほど辛いものなのですね…

一球たろう
一球たろう

高校球児だけでなく、全国の中学校・高校の3年生で、この夏の部活が最後の見せ場だった皆さん。その当てどころのないお気持ち、本当につらいと思います。どうにも言葉の送りようがありませんが、時が進み、少しでも皆さんが今回の事を思い出として、語れるようになればと思います。今すぐには無理でしょう。でも10年20年先の未来はぼんやりとでも、イメージし続けてください。

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